◆社会福祉法人岐阜アソシア◆


■【沿革】

英国の宣教師・A.F.チャペル師と失明間もない伝道師・森巻耳(モリケンジ)師の働きによって明治中期より岐阜の地において視覚障害者とともに歩み続けております。
両氏の働きは1891年(明治24年)に起こった濃尾大震災の被災視覚障害者の救援活動に始まり、1894年(明治27年)には「岐阜聖公会訓盲院」(現・岐阜県立岐阜盲学校)創立にこぎ着けるまでに及びました。
その後岐阜聖公会訓盲院は1940年(昭和15年)に岐阜県に移管され、社会事業部門を引き継ぐ施設として1941年(昭和16年)に「財団法人岐阜訓盲協会」が新たに設立されました。
これが現在の「社会福祉法人岐阜アソシア」の前進となります。
当初は、視覚障害女性の生活の場、訓練の場、就労の場としての役割を担っていましたが、1959年(昭和34年)に「岐阜訓盲協会点字図書館」を開設すると、その後は時代時代に応じた事業を展開していきます。
その中でも岐阜アソシアならではのイベントを二つご紹介しましょう。一つは、「結婚研修会」現在は「かがり火」と名称を変更して、独身視覚障害男女の出会いの場を50年以上に渡って実施しております。
1962年(昭和37年)に第1回目を開催し、2018年(平成30年)の8月で第47回を数え、成立したカップルも100組を優に超えるイベントとなりました。
二つ目は、東南海地震が起こると叫ばれている中、2007年(平成19年)から視覚障害者、地域住民を巻き込んで、「防災運動会」を実施しております。災害時でも共に手を携えて助け合っていける社会が広がることを願い、このイベントを始めました。
1997年(平成9年)には念願の新センターが建設され、これを機に法人名を「岐阜アソシア」、施設名を「視覚障害者生活情報センターぎふ」と改称し、共に生きる社会作りを目標に掲げ、事業推進に励んでおります。
さらに、2003年(平成15年)には「岐阜アソシア視覚障害者居宅介護事業所」を開設し、視覚障害者の外出支援にも取り組み、現在に至っております。